この記事を読む前に、次に示す関連記事をお読みいただき、学校教育の段階で刷り込まれた「常識」という危険な価値観の植え付けの目的について理解していただきたい。
関連記事
法を超越した「常識」という従順さの押し付け 学校教育の真の目的とは
関連記事では、学校ではあらゆる「常識」が刷り込まれ、その目的が国家や一部の富裕層が国民から搾取するのが目的であると解説した。
会社は法を無視した「常識」によってあなたから労働力を搾取し、経営陣が富を独占するのである。
挙げると切りが無いが、いくつか例を示す。
驚くべきことに、トイレのために離席した場合には、その時間分の賃金を支払わないという狂った会社があるようだ。
各自で打刻する仕組みになっていて、打刻忘れがあると、確信犯ではないのかと咎められるようである。
狂っているのではないだろうか。
離席時間分を賃金から引くというバカげたことまでしていなくても、離席時間を同僚で相互に記録し合っている場合もあるようだ。
自分達で自分達の首を絞めて徹底的に会社に搾取される労働者の社畜精神は狂気でしかない。
もはや人権侵害で、人を働く機械としか考えていないのだろう。
サービス残業の常態化は問題になっていて、実際の労働時間よりも過少申告するのが「常識」とか、そもそも残業代を求めるという行為が非常識という狂った文化の会社が多数存在する。
賃金は労働に対する対価なのだから、労働に従事した時間分の手当を求めるのは当然の権利であり、これを非常識とする奴等は非常識どころか犯罪者である。
特に問題なのが、管理職になるのがこのような会社の為にサービス残業を強要する狂ったバカばかりである点だ。
バカな管理職だけではなく、バカ集団による同調圧力も問題である。
私は以前の職場で、管理職でもないくせに私が残業代をつけようとすると、残業代をつけることに文句を言ってくるヤバイおばちゃん達に困ったことがあった。
そのおばちゃん達もあまり残業代をつけるタイプではなかったが、特に見返りもないのに自ら金をドブに捨てる行為は全く理解できない。
歪んだ正義感を振りかざすバカはどこにでもいるのだ。
あなたの会社では、就業規則で定められた始業時間よりも早い時間から働くことが当たり前になっていないだろうか。
始業時間から仕事ができるようにするためなどと、掃除やら何らかの仕事のための準備という仕事を始業時間前に済ませるという「常識」が刷り込まれているのではないだろうか。
それも無給で。
始業時間前の労働について、賃金を支払っている企業は少ないだろう。
残業代は終業時間を過ぎてから発生するという「常識」が刷り込まれていて、無給で搾取されている労働者が多いのが実態だ。
堂々と始業時間から仕事をし、何かそのことで注意を受けた場合は録音するなどして証拠を残しておくといい。
時効は2年なので後から請求する際の根拠となる。
今は誰でも情報発信ができる時代だ。
会社名とともに違反内容を公表することは容易であり、その公表を交渉の材料として活用できる(脅しではない)。
スキャンダル1つで会社が潰れることもあるのだから、経営陣は信用を失うことを最も恐れているのである。
全てを失うのが嫌ならば、富を独占しようという汚い考えを捨て、正しくあるべきなのだ。
法治国家で事業を営む以上、当然である。
労働問題を扱う方は多数いて、ツイッターで誰でもそのような方々とコンタクトが取れる。
私が最近驚いたのは、yahooニュースの労働問題に関する記事を書かれている方にある高校生がコンタクトを取り、その問題の内容の記事がyahooニュースに掲載されたということだ。
都内のとある高校で、非正規の教員が正規の教員への転換を前提として勤務し、過労死ラインに近い長時間労働、残業代の未払い問題にも目を瞑り、散々搾取された挙句に使い捨てにされたという問題だ。
この悲惨な現実をどうにかしたいと生徒が立ち上がり、この時代の利点を活かして雇い止めを阻止するためにツイッターを活用したのである。
不安定な身分から、安定な身分への転換をエサに散々搾取し、使い捨てにした最低な学校経営者の実態が世間に公表されたのだ。
もちろん、高校名も公表されている。
情報発信は現代人が手に入れた攻撃も守りもできる最大の武器だ。
活用して、権利を勝ち取ってほしい。
労基署が動かなかった場合だって、具体的にどこの労基署に申告したが対処してもらえなかったという旨を公表すればいい(最善の選択肢は弁護士を伴って申告することだが)。
トイレのための離席の監視をする会社が存在するなど、相互に監視させることで徹底的に労働力を搾取する悪質な企業の実態を紹介したが、基本的にどこの企業でも本質は変わらない。
仕事は常に一定量あるわけではないため、時期によって仕事量は変わるものである。
忙しくて残業が続く時期もあれば、暇になる時期もあるだろう。
1日の中で暇な時間がある場合、何かしている風を装わなければならないのは無意識的に相互に監視しているためである。
サボっていると思われるとか、何か言われるかもしれないなどのリスクがあるため、暇な場合でも何かしているように装わなければならない。
洗脳されていて、仕事となると積極的に搾取されにいくバカが多いために生じる問題だ。
楽をしたいという欲求を抑えて、「仕事だから」とか「給料もらっているのだから」と自ら積極的に首を絞めて苦しみ、仕事を辛いものにしているのだ。
毎朝通勤の電車の中で見る大部分の大人達の顔は死んでいる。
辛くて仕事を辞めたいが、生活の為にお金が必要だから辞めることができないのだろう。
ただでさえ辛いのに、さらに自分で自分の首を絞めて余計に仕事を辛く苦しいものにしているのはなぜなのだろうか。
私には全く理解できない。
その辛く苦しい状態で何十年も働き続けることができる人は天才だ。
私のような凡人には決して不可能であり、すぐに辞めるという選択肢を考える。
何十年も働き続けるのならば、緩い環境でなければ続かないだろう。
私の以前の職場でも、常に動き回っていないと何か言ってくるバカなおばちゃん達ばかりで困っていた。
手待ち時間は自分の成長の為の学びの時間にできればいいのだが、それが会社側にメリットがあるということにも気付かないバカな経営者がほとんどなのが現状で、そのような会社では成長する見込みはない。
残念ながら、日本人の生産性の低い現状は今後もずっと変わらないだろう。
学校教育における洗脳が原因であり、根底にあるのは学校に休まず通い、サボってはいけないという常識の刷り込みだ。
驚くべきことに、関西の医科大学では顔認証による出席管理をしているのだという。
もはや本質を見失っているとしか思えないが、大学生にもなって出席を厳しく管理することに何の意味があるのだろうか。
できるかどうかの世界であり、試験で点数が取れていればそれでいいのではないだろうか。
どんなに真面目でいつも最前列で講義を受けていても、試験で点数が取れなければ何の意味もない。
出席することに意味があるわけではなく、講義はあくまでツールの1つにすぎないのだ。
学ぶためのツールはいくらでも存在する。
つまらない講義を受けることや、ただ講義室にいて寝ているだけ、もしくはスマホを見ていることに意味はない。
学校では結果よりもプロセスを評価するため、管理しやすい従順な人が評価されるようになる。
実力と評価の乖離が生じる原因は、学校教育をずっと引きずっているからである。
子供の頃から学校に縛り付けられることで、学校に通って教室にいることが常識であると刷り込まれ、大人になると学校が会社に置き換わる。
そして会社にいる時間はずっと働き続けることを要求されるのである。
適度に休憩することは生産性を高めることが広く知られてきているにもかかわらず、なぜかそれを許さない会社が多く存在する。
学校でも1コマ授業が終わると5~10分の休憩時間があるのに不思議なものだ。
そのようなブラック企業では搾取されるだけで当然成長は見込めない。
すぐに退職願を書くべきだろう。
1つの会社で定年まで勤め上げるという時代は終わった。
転職市場は拡大し、雇用の流動性は高まっている。
若者が理解しておくべき点は、1つの会社に長くいることは大きなリスクであるということだ。
従来の会社に尽くすという考えは持たなくていい。
大企業でも、早期退職制度による老害切りが相次いでいる。
昔と違い、今の時代はどんなに尽くしても見返りは期待できないのだ。
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社畜として生きる事のバカバカしさ 相次ぐ老害切りは何を意味するのか ~若いうちは低賃金、歳を取っても昇給しない時代の生き方~
若者は自分の成長だけを考えればいい。
契約に基づいて労働力を提供していれば何の問題もない。
会社に対する忠誠心など必要ないのだ。
賢い人は会社を利用して自分を成長させることを考える。
これからの時代のリスク管理は、自分を成長させ、労働市場における自分の価値を高めることである。
今後は組織に属さずに、個人で仕事をするのが普通の時代になってくるだろう。
いずれにしても、実力を高めることがリスクを回避することになる。
自分の成長に繋がる仕事を積極的にするべきなのだ。
学校や会社で刷り込まれる「常識」は、経営者が労働者から不当に労働力を搾取して利益を独占するために植え付ける考えである。
物事の本質を見抜き、最善の選択をするべきだろう。
関連書籍
『すべての教育は「洗脳」である』 堀江貴文著