高校野球の魅力は古い日本人の美徳(だった)
毎年、夏の暑さがピークとなる8月の炎天下の中行われる高校野球の全国大会。
聖地と言われる甲子園には毎年多数の高校野球ファンが押し寄せ、中には大会期間中のほぼ毎日を甲子園で過ごす暇な老人もいる。
野球人気は低迷し、プロ野球の地上波での放送もあまりない中で、高校野球は別格だ。
そこには単なる野球の試合だけではない、神格化された何かがある。
人気の秘密は、古い日本人の美徳だ。
丸刈りでテストステロン値の高い大男達が、大声を張り上げて全力でプレーする。
プロ野球とは違い、攻守交替の際も無駄な全力疾走を強いられる。
それが「常識」なのである。
「チームの為」に怪我を恐れずにボロボロになるまで戦う、かつての日本兵を思わせる泥臭い姿こそが年寄りを魅了する。
気合と根性の世界だ。
負けた球児たちが、泣きながら甲子園の砂をせっせと集めて袋詰めする姿を報道のカメラマンが下から覗き込むように至近距離で撮影するのは夏の風物詩である。
情けない姿を至近距離で撮られている彼らの心境はどうなのだろうか。
とある元プロ野球選手の老害が、テレビ番組のコーナーの中で、地方予選の決勝で連投が続いたエースを登板させなかったことに喝を入れたのは随分と話題になった。
現役のとあるメジャーリーガーが、そのテレビ番組でのコメントを批判したことでさらに話題となったが、世論はこのメジャーリーガーの考えを支持する意見が多いようだ。
神格化されている高校野球が全てではない。
今後、もっと大きな舞台で活躍できる可能性があるのに、怪我をして野球ができなくなってしまっては意味が無いと考えるのは当然だ。
このメジャーリーガーとはダルビッシュ有投手であり、その後の体育会系の考え方を否定するツイートも話題になった。
「ずっと停滞していた日本球界を変えていくには勉強し、今までのことに疑問を感じ、新しいことを取り入れていく。その中で議論というのは外せないツール。それを黙って仕事しろとはまさに日本球界の成長を止めてきた原因って気づけないのかな?」
とツイートしたが、これは正論だ。
体育会系のバカは、何も考えずにただ上の言うとおりにしか動けない。
「黙って仕事しろ」というのは、年上である自分に意見せず、黙って兵隊として忠実に動けという意味である。
その考え方を明確に否定し、議論の必要性を主張したのだ。
「常識」を疑い、最適化するために常に思考し続けることが重要であるが、このことを影響力の大きいメジャーリーガーがはっきりと述べたことは大きな意味がある。
ずっと戦時中を引きずっている高校野球は、果たして変わるのか。
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軍隊、刑務所のような世界で養われる社蓄精神
体育会系の部活の中でも、特に高校野球は軍隊の色が濃く、絶対的な存在である監督を頂点としたピラミッド構造だ。
ある高校では1年生は奴隷、2年生は平民、3年生は神様だそうだ。
最近は進学校や公立校の甲子園出場も珍しくないが、一昔前は常連校ばかりで、全国的に有名な強豪校が名を連ねた。
その強豪校とは、野球しかやってこなかったバカばかりを集めて、自由の存在しない、軍隊若しくは刑務所のような高校生活を強いられるような学校だ。
防衛大学校での下級生に対する上級生からのイジメは常軌を逸しているが、このような軍隊でよくあるようなイジメ(イジメというよりは暴行、傷害、殺人未遂)はよく見られる。
監督やコーチなどの指導者による体罰(体罰というより暴行、傷害、殺人未遂)も相次いでいる。
高野連という組織による制裁は厳しく、このような暴力沙汰が表に出ると厳しい処分が下され、出場停止や活動停止に追い込まれるのはよく分かっているはずなのだが、それがあまり抑止力にならない。
あおり運転をするような輩と同じで、そこまで考える頭がないため、感情的に程度の低い罪を犯すのだ。
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気合いと根性の世界で、無駄な努力を強いられ、ブラック企業での過酷な労働環境にも耐えられる社蓄精神を養い、優秀な兵隊を労働市場に送り込む高校野球だが、変化が見られている。
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脱丸刈り・脱思考停止 生徒に裁量権を与える取り組み
校野球における教育が変わってきている。
これまでの上意下達(監督の指示・命令は絶対)から、生徒主導で自主的に考えて取り組むように改めた学校が増えてきている。
高校球児の象徴である丸刈りも変わりつつあり、丸刈りではない高校生も甲子園に出場しているのだ。
自ら考えさせることで「常識」を疑い、高校球児は丸刈りでなければならないという「常識」に合理的な理由が存在しないことに気付き、髪型を自由にしたという。
プロ野球選手だって髪の毛を伸ばし、染めたりしているのに、高校生は丸刈りでなければならないというのはおかしい。
丸刈りでなければ野球ができないということは考え難い。
教育の変化が髪型に分かりやすく表れているのだ。
練習の内容についても生徒が自分達で考えて実践し、試合でも監督は必要以上に指示を出さないようにしている学校もある。
まだ軍隊式の教育で強靭な忍耐力を養ってきた強豪校には実力で及ばないものの、今後はこのような自由な校風で楽しみながら上達した賢い彼らの活躍に期待したい。
高校野球の古い体質はそう簡単に変わるはずがないと思っていたが、変化の兆しを見せている。
これからの時代に求められる能力を養う方向に教育が変わることを期待したい。
指示通りにしか動けない、思考停止の状態に陥った単なる兵隊は必要とされない時代になるということをよく理解し、単なる知識の詰め込みではなく、考える力を養う教育にシフトしなければならない。
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