これまでの記事で社畜を否定してきましたが、今回は日本人の社蓄精神がどのように養われたのか(刷り込まれたのか)を考えます。
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当然ながら、子供の頃に受けた教育によって思想や価値観が形成されていくものです。
つまり、諸悪の根源は教育にあります。
学校という教育機関において社蓄精神を植え付けているわけではありませんが、その基礎となる考えを洗脳教育によって日本人に刷り込み、社会に出てから社蓄精神を容易く受容できる状態にまで仕上げて労働市場に出荷しているのです。
社蓄精神の基礎となる考えはどのように刷り込まれているのでしょうか。
無駄な行事について考えてみるとわかりやすいでしょう。
クラスの為、チームの為と「協調性」なる人権を完全に無視した自己犠牲の精神を要求される。
この「協調性」を否定することは戦前・戦時中における「非国民」のような存在として扱われるため、小さな村社会においては大きなリスクとなる。
授業の時間の多くを行事の練習時間に充てられ、散々練習に付き合わされて自己犠牲を強いられたにもかかわらず、放課後の練習やら休み時間を削っての練習にまで参加を強要される。
さらには成長期の子供から睡眠時間を奪って健全な心身の成長を妨げてまでも朝練を強要される。
子供の頃から時間をかけて取り組む事が正しいとか、協調性という自己犠牲の精神が重要だとか刷り込まれ、生産性やメリット等を全く考えずにチームに尽くすことの素晴らしさを教え、刷り込んでいく。
この考えに反する事を述べようものならば叱責され、その村社会での居場所を失っていく。
そこには憲法で保障されている言論の自由や思想の自由なんてものは存在しないのである。
本当にクラスやチームの為を思うのであれば、行事のために無駄な時間を過ごし労力を注ぐのではなく、将来役に立つ学問を深める事や自由に楽しい時間を過ごす事を提案したいものだが、洗脳教育を受けている子供たちはその提案が間違っている事だと考えてしまう。
先生と呼ばれる独裁者から教わった事と違うからである。
そこにかけた時間や労力に見合う成果が期待できるかどうかとか、メリットがあるかどうかということの一切を考えることができず、ただ先生の言うとおりにしか動くことの出来ない生産性の乏しい子供達。
考える力が乏しく、ただ先生の指示通りに動く優秀な兵隊の卵でしかない子供たちには何を言っても無駄なのである。
このようにして社蓄精神の基礎を教育現場で刷り込まれてきた兵隊達は、労働市場に出荷され優秀な社畜として搾取される日々を送ることになるのである。
教育とはまさしく「洗脳」である。
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